情報の取捨について

このごろテレビを見る時間が極端に減っている。
元々それほどテレビは見ない性質だったが、本を読んだりする時間を増やすと
まったく見ない日が多くなってきた。

だから芸能人などの話になるとまったくと言っていいほどついていけない。
それはそれでいいと思ってるし、知らないので知っている人から話を聴く楽しみもできてよいと思っている。
ただ、知識がない奴にでも優しく話をしてくれる奴が必要だけど。


よく本を読むとテレビのワイドショーなんかを見てても仕方ない
テレビのコメンテーターなんて意味のないコメントばかり言っている、というような話は耳にすると思う。
けれども私はそうは思わない。
こういった情報からも何かを得られるんではないか?
得られないのは得ようとしていない、考えていないからであってどんな情報からも得るものはある。
私の考えはこういったちょっとメデタイ頭になっている。

メデタイとは思うのだが、別にこの考えを変えようとは思っていない。
だから前述したテレビを見ない、ということはテレビを見て何か得るものを得ていないのではないか?
というように考えるときがある。

けれども時間は有限であって、テレビを見る時間を増やせば本を読む時間が減る可能性が高いし
遊ぶ時間を増やせば勉強をする時間は減る。
何かする時間を増やせば何もしない時間は減る。
(私は何もしない時間、という時間に対しても必要性を感じている)


で、ここからが本題になるのだが
どうやって情報を取捨選択していくのが良いのだろうか?
ほかの人はどうしているのだろうか?
つまりはタイムマネジメントに近い話と思うかもしれないが、そのひとつ前の段階を考えたい。

つまりこのテレビを見ないで本を読む、という決定をどのようにするのか。というようなことを考えたいのであって
その決定の集まりをどのように割り振るのかというのが純粋なタイムマネジメントの話としたい。


おそらくは自分の目標を達成するために必要な行動の優先順位を反映して
情報の優先順位を判別し、取捨選択はされていると思うし、それが一番目標を達成するには近道であると思う。
まぁそのように行動できている人は滅多にいないと思うけど。

  • 目標達成のために必要な行動の優先順位の明確化
  • 優先順位をもとにした、情報の優劣の付け方


この二つをはっきりさせることが重要になるんだけど・・・なんか・・・違和感が。
つまらない、というかなんというか、これでいいのか?という感覚。
「目標」が自分の面白いと感じるものであれば、上記の二つに重きをおいてもつまらないとは感じないのかな。
・・・となるとやっぱり目標が一番大事・・・あーーーーまたくだらない結論にorz


もしこのグダグダとした文を読んでくださった方で
「自分はこうやって情報の取捨をしている」というような例をお持ちでしたらぜひ参考にさせてもらいたいです。