自分のいる段階
Casual Thoughts
30代キャリア考 止まらず探し続けること
現在、家ではないので短めの文になってしまうが
更新を楽しみにしているブログのひとつであるCasual Thoughtsさんのブログの更新があったのでコメントをつけてみたい。
自分の人生を考えるときに、今自分はどういう段階にあるのだろうか?
ということは必要な認識だ。
もっと幼い中高生のときにこんなことを考えられていたら良かったのに、と思うが
それは凡人には少し無理な注文か。
自分が今どういう段階なのか、という認識について、先日書いた羽生善治さんの例を挙げると
彼は19歳のときに『19歳の挑戦』と題して、こう述べている。
私は間もなく満19歳を迎えるが、今から2−3年が棋士として最も大切な「基礎」固めの期間と自覚している。将棋の力も体力と同じで、その基礎は20代初期までにほぼ固まるもの。それ以降も努力と精進で、いわゆる将棋の「芸」は向上するとしても、基礎的な力の養成にはならないからである。
19歳といえばもう成人間近で、このくらいは少し出来る人なら考えるのかもしれない。
私はこういったことをあまり考えられなかったから、考えれていた人をすごいと思ってしまうのかもしれないが
それでも羽生さんのように、自分が生きる人生の段階を認識できている人は少ないんじゃないかと思う。
羽生さんはもう将棋界で生きていくと決めているから、ここまではっきりと言えるのかもしれない。
けれども決めれている、というのも多くの人ができていない一つの事実である。
羽生さんの場合、天職はもちろん将棋といってよいと思う。
しかし多くの人は自分の天職はなんだろう?と悩むのが普通で、悩まない人は仕事にあまり意味を見出さないタイプの人だと思う。
それでもいいと思うが、私はそうじゃないし、そうありたくはない。
少し話がそれるが、大人になるにつれて、自分の中にある『純粋・潔癖』という性質が弱まってきているのを感じる。
これは高校の先生が言っていた
『純粋と潔癖は若者の特権だ』
という言葉を聞き、感じ入り意識することが多くなった。
そうした性質を弱めるのが、大人として生きていくには摩擦も少なくすむのかもしれない。
けれどもそうありたくはないな、と思ってきたつもりである。
なのに弱まってきていることを感じるのだ。
そうありたくないと思っているにも関わらず。
だから最低限そうありたくない、と思う方向にはしんどいかもしれないが、あらがっていたいと思う。
話をもとにもどすと、Casual Thoughtsのktdiskさんは
独りよがりの自己分析に時間を費やし、答えのない自問自答を繰り返すはめになるんではないか、という漠然とした不安感を前にすると、どうしても「自分の天職探し」に取り組む気になれず、仕事で通用する英語力を養うなどのジェネラルに自分の市場価値をあげることに注力してきた感は否めない。そういった自問自答に時間を費やし、情報が少ない中でもがくよりも、なんとなく興味を持つ分野にとりあえず自らの身を投じ、本当に興味があるか否かをクイックに検証したほうが手っ取り早く、効率的なんではないか、とさえ思っていた。
と述べている。
その結果
「自分の天職探し」から目を背けるという己の怠慢を後悔することになる。
と言っているが、これは「ジェネラルに自分の市場価値をあげることに注力してきた」からいえることであって
私などとは違って、大きく一段階上の悩みである。
そういった行動をしてきたと自負できる段階になって、自分の天職探しを怠けてしまったかな、
と十分に悩める段階に立てるのではないかと思った。
と言いつつも、中高生のときに自分は人生のどういった段階にいるのかを少しでも考えてみればよかったと思うのも事実なので
悩みながらジェネラルに自分の市場価値をあげる、というのが理想的なんだろう。
つまり当たり前だが
- ひたすら悩み尽くす
- 悩みながらジェネラルに自分の市場価値をあげる
- ひたすらジェネラルに自分の市場価値をあげる
の3パターンだが、これら3つは実際には2つで
- 一番上と下はひたすらそれに打ち込んで答え・結果を出すというパターン
- 真ん中は走りながら考えるパターン
である。
できれば下の走りながら考えるでいきたい、と思う。
けれど、自分の目標・興味・あり方をはっきりさせないで走れるのだろうか?
走りながら探す、というのはいろんなものが見れることになるが
一つのことをじっくり考えることはできるのだろうか?
走っている時の風景と歩いているときの風景は随分違う。
また、反対向きに走ってしまうことはないんだろうか。
何をしても、反対向きに走っているということはなさそうだがどうなのだろう。
反対に走ることもできるが、この年になったら(まだ若いですが)反対には走らないこともできるだろう。
・・・こんな感じ(↑)に悩むことばっかりで、ジェネラルに自分の価値を高めていないのが現状なんだから
理想の走りながら悩む状態に持っていくにはバランスを考えても
ジェネラルに自分の価値を高めていく、のが普通に考えて今の課題なんだろうな。
だせるだけのものを出しながら、この二つを理想的なバランスにしていく。
理想的なバランス、とは自分の理想にそって考えたときのバランスである。
数年前から考えることだが、バランスについてだ。
バランスというありきたりな言葉はとても深いものだ。
自分のバランス、平衡点を見つけ出すということが自分の理想を見つけ出す一つのアプローチのような気がしている。
が、それを考えるのはもう少し自分を最大化する努力をしながら考えるべきか。
話がぐるぐる回ってしまっているなぁ・・・。
10年経ったときに今しておいてよかったな、と思えることを冷静に考えて終えてみたい。
- 一般的に人から認められ易い市場価値を持つこと
3年間で考えているのは英語、基礎的な会計知識、そして体作り。
最後の体作りというのは特に。
大学に入学してすぐに体を壊し、一年半ほど大学にまともにいけなかったがこれはなかなか良い経験だったと思っている。
体の大切さを知るというのは早めに知っておいて損は無いはずだ。
- 自分のあり方を考えていくこと
これは上で述べて自分が今どういった段階にあるのか、ということや
自分はどうありたいのか、ということ
更には興味を持っていることをはっきりさせ、できればそこで競争優位を作っていきたいと思う。
- 今しかできないこと
そして最後が今しかできないこと、をすることだ。
こればかりは後で悩んでもどうしようもない。
今だからできることが多くあるはずだ。
中高生のときにしかできないようなことをしておけばよかった、と感じることがあるんだから
大学生のときにしかできないようなことを今しておかないと、同じように感じるんだろう。
短めにしておこうとか書いておきながら、グダグダと長くなってしまった。
明日も早いので今日はこのあたりで寝よう。
おやすみなさい。