2ch
毎日人気エントリーを読むのは日課になっているんだけど
そのエントリーの中に
岩本隆史の日記帳
ブログのプロフィール欄に大学名を書くのは自由だし、芥川賞なんか簡単に取れると豪語するのも自由だ
というものがあった。
そこでは
あんたジャージでどこ行くの
大学名を書く学生さん
において、自らのブログで自らの大学名を晒すことについて
ずいぶん面はゆいというか、若気の至りだなあ、とか思うわけですが。
と述べていることや
heartbreaking
『真面目に取り組んで小説を書けば、おそらく芥川賞ぐらいは簡単に取れるだろう』 ・・・ハァ?
において
アホですか、芥川賞取れるもんなら今すぐ取ってみろ。
と言うように、述べられていることについて
はっきりいって怒りを覚えるのだが、彼らと議論したところで不毛なのは目に見えている。
と述べていた。
私は別に怒りも覚えないし、大学名を晒しても晒さないでも好きにすればいいと思うし
芥川賞が取れるとでもノーベル賞なんてちょっと研究すれば取れるとでも
好きに言えば、という気持ちである。
ただ、大学名を晒していることを不快に思う人がいても別に良いと思うし
大言壮語している、と感じた者に対して批判しても良いと思う。
そして不快に思っている人や批判している人に対して「はっきりいって怒り」を覚えても別に良い。
つまり別に何を言っても良い。
けれども何かを言うということは、言ったことに対して何かを言われるリスクを負っている。*1
更に言えば言われたことを受け止めようが、無視しようがまた自由。
受け止めて議論をすればそれはそれで展開があるし、無視すれば無視したという結果が残る。
どこまで水を掛け合うかである。
水を掛け合っていることをお互い楽しめているのであればそれは建設的な議論となることもあるが
水を掛け合っていることをお互い楽しめてないのが往々にして水掛け論となるのだ。
ただ、その次の日のエントリーがあったのでたまたま見てみると*2
いわもとはスルーりょくが3あがった!
とあった。
これを見て、2chでいうところの『釣れた!』宣言みたいなものを思い出した。
この釣れた宣言は
- 釣るつもりはなかったが、何かしら間違いなどを認めたくないので釣れた宣言をする場合
- 本当に釣ろうとして、実際に釣れて*3宣言した場合
- 釣れた宣言をすること自体がまた釣りである場合
などが考えられる。
ここで上二つの特徴は
「何かしら自分が行った釣り行為(間違い)によって自分を低く評価されたくない、もしくは正当な評価をされたい」
というものであるのに対して、一番下は
「相手を翻弄すること事態に楽しみを感じている、もしくは別に見てる人に馬鹿にされたままでも良い」
というものである。
釣りを行った人が、これら2パターンのうちどちらであるのかを判断することは難しい。
ネットの向こう側の人がどんな顔をしているのかわからないのも一つの要因だ。
だから「顔真っ赤」などという煽りもあるのだろう。
昔、暇で暇で仕方ないときには2chに書き込むこともあったし、顔真っ赤?にしたこともあった。
今思うと笑えるのだが、そのときはなかなかに真っ赤な顔をしてモニタを見ていたんだろうなぁ。
そのときの自分の顔を写真に取っていたかった。
岩本隆史さんのエントリーの話題から少し逸れてしまったが
これらのエントリーやトラックバックからなにやら人間っぽさの溢れているやり取りを見て
私の人間っぽさがうずきコメントしてみた。
けれどもこういった人間っぽさは、まったくの第3者*4が見ると
大抵は怒りながら水を掛け合っていることが多い。