知的生活の方法

知的生活の方法 (講談社現代新書)

知的生活の方法 (講談社現代新書)

こちらはなかなか面白く読めた。
人の経験を介して語られる話には興味を引きやすいようだ。


一番印象に残った部分を引用すると

あなたは繰り返して読む本を何冊ぐらい持っているだろうか?
それはどんな本だろうか?
それがわかれば、あなたはどんな人かよくわかる。
しかしあなたの古典がないならば、あなたはいくら本を広く、多く読んでも私は読書家とは考えたくない。


はっきりいって何年間も読み続けている本がない。
なんと寂しい読書を送ってきているのだろう、と思った。
漫画なら何度も読み返しているくせに、なんども読み返している教養書の類はない気がする。
つまり上のエントリーで偉そうなことを述べているが
実のところ読み方を理解しているつもりになっているだけで、本当に何かを得て自らの血肉にはできてないないのだろう。
痛いがそういった本がないのだから事実なんだろう。

良かったと思う本を読み直す習慣をつけ、自らの古典というものを見つけていきたい。
そう感じた。


また「時は金なり」という言葉について去年私が考えてたようなことと同様のことが書かれていた。
去年メモ的に書いてた文があったので貼ってみる。


時は金なり。
よく耳にする言葉だ。
Time is money.
を直訳したもので、ベンジャミン・フランクリンの格言らしい。
知らなかった。

意味としては、時間というものはお金と同じくらい重要なものだ。無駄にするな。
というようなものが一般だと思う。

この言葉について、少し考えてみると、
時間がお金と同じくらい重要なもの、というより
時間とはすなわちお金である、というほうが私としてはしっくりしてきた。



その意味は、時間とはお金を生み出す最も確実なものだ、ということである。
時給という言葉があるように、お金は時間に対して払われると考えられるということだ。
時給はだいたいはアルバイトなどで用いられるが、正社員でも同様に考えられる。
雇用する立場から言うと、人の時間をお金で買っているのだ。
優秀な人の時間を買いたければ、高いお金というインセンティブでもってそれを可能とする。
市場競争の原理だ。

つまり、時間とはすなわちお金であるのだ。
そして逆に考えると、時間を無駄にするということはすなわち出費をしているということだ。

このように考えると、私達は毎日自分の時間を人に売ったり、自分で買ったりしているわけだ。
自分で自分の時間を買うというのは自分に時間を売るということと同じだが、
その買った時間を有意義な時間、楽しい時間、思い出として残るような時間にできたのであれば
それはとても良い買い物であり、褒めるべき出費だ。

しかし自分で無駄な時間を過ごしてしまった、と感じるような時間になったのであれば
それは無駄な出費、お金を捨てているも同然だ。

 

こんなことを昨日の夜寝れないから考えてた。
で、今日大学から帰ってきて時は金なりで調べてみたら、その由来として
「時は高い出費である」
というギリシャ起源の言葉に由来しているらしい。

まぁ私は無駄な時間もそれはそれでいい、とか思っているんだけどね。
ってか、そう思える時間は私にとって無駄な時間ではないのか。
次は無駄の定義について考えないといけないようになる。
人によって違うんだろうけど・・・、まぁここらへんで思考を止めよう。

去年こんなこと書いてたんだな・・・という感じ。

にしても、私は自分の文が嫌いだ。
あまり読み返したくない。
もう少し好きになれる文にしたいなぁ・・・。


他にもクーラーの効用についてなども書かれており、とても興味深く読めた。
エヴァミサトさんが言うように
『やっぱクーラーは人類の至宝。まさに科学の勝利ね。』
とはその通りで、クーラー大好きな私としては全面的に同意しながら読めた部分だった。


この本もまた時間が少し経ったら読み返そう。