本を読む本

本を読む本 (講談社学術文庫)

本を読む本 (講談社学術文庫)

読んでしばらく1、2週間たってしまった本だがメモ的に一応アウトプットを。

本を読む本はいわゆる読書法の古典的存在。
書をどのように読み、自らを高めるかを体系的に記した本。

読書を

と4つ(の段階)にわけて、それぞれの方法と意義を解説している。


初読の感想としては『たいしたことは書いてないな』というものだ。
上から目線で偉そうだが、時には若干のふてぶてしさもよしとしてみよう。


初級読書はおいておくとして(これが読めているならもう済んでいることなので)
点検読書とは拾い読み、下読みに該当する読書で
分析読書とは本を分類し、本の構造を解析し、本と対話する読書だ。
そしてシントピカル読書とはある主題に対して、複数の本を読み、様々な視点からの考察を深めて
その主題において自らを高めていく読書だ。(少し大げさだが)

けれども、書いてあることはどれも多くの人がしていることではないだろうか?
逆にこういったことをしていないのなら、どうやって本を読んでいるのだろうか??
小説などではこういった読み方をする必要はないと思うが
いわゆる教養書などではこういったことを考えずに読むほうが難しいのではないか?

本と対話する、という考え方をもって本を読んでいる時、
特に教養書などを読んでいる時に時々感じるのが、作者への苛立ちだ。
述べていることが理解できない、論理的でないなどのときに良く感じられる。
あなたが述べていることについての論証は?と。
そういった本は読むのをやめたくなるが、やめないで読んでしまうところが私の悪い癖なのかもしれない。
『読書について』で述べられ、この本でも述べられているが
読むに値しないと判断する能力が確実に必要なのだ。


小説や戯曲といったものの読み方についても触れられていたが
こちらはなかなか参考になった。
小説を読む際の「べからず条項」などだ。

この本で美は真よりも分析しにくいのだ、述べられているように
美を自らの言葉にして述べるのは高度な表現方法だと思う。



今回は偉そうな読後感想となったが
おそらくまた時間が経ったときに読むと違う感想が得られるのだろう。
今は見えてないことが見えてくるのだろう。
古典として今なお残っているものはそういうものだと思う。

古典とは汲んでも汲んでも枯れない泉なのだ。