宗教と政治


さっさと寝ればいいんだけど、さっきのチェーザレにも描かれていた
政治と宗教、特に宗教について書いてみる。


日本はほとんど無宗教の人が多いと思う。
けれど実際には無宗教というよりも、無信心なだけだろう。
つまり熱心に祈るべき対象である、神を欲さない。
神の需要が低いのだ。*1


これは凄いことだと思う。
そしてこれは外国から見ると異質なことなんじゃないかとも思う。
私が外国における宗教の浸透具合に驚いた例を挙げると
創造論の浸透具合に驚いた。*2
進化論について調べてるときに創造論なるものを見つけて
「なんだこれは?」
と思って読んだところ、聖書に書かれている世界の創造が実際に論説となりえているのだ。
それも1/3の人が信じているという。
はっきり言って、愕然とした。
そこまで神の存在を信じているのか、と。
神の需要があるんだなぁ、。
そして公立の学校の授業で創造論を教えるべきだという意見が普通にあることも驚いた。

宗教というものの種の強さを感じた。


宗教の強さといえば、宗教は政治において大きな武器となっている。
アメリカなんかはモロにそうだし、この間もトルコで政教分離に関する問題が話題になっていたが
宗教と政治は密接な関係にある国が多い。
しかし日本ではそういうことはない。


これはなぜかというと、織田信長のおかげじゃないかと思う。*3
おかげ、なんていうと延暦寺の焼き討ちで死んで人に祟られるかもしれないが
まぁ女子供はともかく、腐った宗教における腐った宗教家は死ねばいい。
信長の多くの業績に多くの賛否が存在するが
私は延暦寺の焼き討ちは賛の側にいる。

信長が後世のためを考えて、政治にまでおよぶ宗教的権威の撲滅を行ったのかどうかはわからないが
少なくとも現世の日本では政治において宗教的権威が幅を利かせてはいないと思う。


政治における宗教。
この問題についてもまた賛否があると思うが、私は否定的だ。
そもそも政治と宗教が同じ側にいるのであれば、民主主義である必要もないと感じる。
まぁそれぞれの宗教にもシェアが存在するから民主主義的にもなりえるけど。


宗教とは何か、とは誰でも考えることだと思うけど私は
「自己のアイデンティティを担保するためのシステム」
だと思う。
つまり人々が社会という完全に把握しきれないシステムを自然発生的に創り出し
その把握しきれないシステムによって、把握できない虚構を作り出し
その虚構によって、自己を担保するというようなループ構造。
虚構を創るシステムが自然発生的なものだから、その虚構にも大いなるものを感じてしまう。
それが神の一面だったりするのかな、と。


で、それが民主主義とどう関係するのかといえば社会を決めるシステムとして民主主義があるのに
その民主主義における主体が限られたものになってしまい、一意的に決まってしまうようなものでいいのか、ということだ。
適当にペイントで書いてみると、こんな感じかな?

別に人と宗教間の双方の矢印はいいんだけど、一番外周の宗教から社会の矢印。
これができてしまうと、人から社会への矢印が消えるようになる。*4
つまり外周だけで回ってしまうことになる。
これだと民主主義の意味がない。
だからいけないんじゃないの?って考えている。*5


政治も宗教も無知だけど、民主主義っていうシステムを考えると意味がなくならない?
と思う。


まぁ民主主義が本当に良いシステムなのかどうかもわからないけど。


民主主義についてもアウトプットしてみるのもいいかもしれないけど
今日眠たくなるので、一文だけ書くと
「民主主義とは愚かな人が集まって、できるだけ愚かな判断をしないようにするもので
 賢者が集まって、至高の判断をするシステムでは、決してない」
とか思ったり。*6

*1:日本にも神を深く信じている人は結構いるけど、外国と比べると圧倒的に少ないと思うので

*2:以前も書いたかな?

*3:おおげさかもしれないが

*4:この場合の社会というのは、主として政治だけど。

*5:宗教の選択によって、人から社会への矢印も保障されるって意見もあるかもしれないけど、実際は宗教という一主体による選択になると思う

*6:こういうことを考えるのって、やっぱり若いなぁとか思ったりするけど青臭い若さを老いても持ちたい。