何か言う*1
何かを言うってことは、何かを切り捨てる、無視する、屈服させること。これを覚悟しないと何かは言えないし、これがなければ何もいえない。覚悟しないで言うのはただの馬鹿。覚悟できないで言えないのはただの臆病者。私は主に後者で時々前者。けれどこれは私だけじゃないと思う。ほとんどの人が覚悟もしないで何かを言い、覚悟ができないで何かを言えないんだろうと思う。
ただ覚悟をしないで何かを言っても、強制的に覚悟を強いられることがあるのが何かを言うということの良い点であり悪い点でもある。
もし覚悟できるなら、何かを言ったことで起こることは全部引き受けろ。引き受けて更に行動するか、しないかは、次の覚悟をするかしないかはその人が決めること。
また幾分かの覚悟は誰もがしないと、一生口をつぐんで生きないといけない。もし覚悟をしないで口をつぐんだまま生ようとしても何か出さないと破裂する。息を吸って、言葉を吸収して生きているんだから。破裂しないように行う行動、覚悟をしないでも出せる言葉、それが差し障りのない言葉とため息なんだろう。それが私なんだろうか。私は完全に口をつぐんでしまう覚悟もできない。宙ぶらりんか。
考えが四散する。民主主義的システムやら効用最大化やらそういう方*1に考えが飛んでいったりもしてるのを見つける。まとまらない。人を食って生きるしかないんだろうか。ペシミズムなんかに陥りたくない。自分の意思の弱さを目の当たりにしているから気づけばペシミズム用螺旋階段を上っているんだろう。宙ぶらりんか。*2
何も肯定できない。何も否定できない、全て肯定できる。
追記
書いてませんでしたが、
「非モテ」「童貞」がどんだけの男女を無気力にさせてるか少しは考えろ
ブロガーは批判を受けそうな記事をこそ書くべき
やこれらの上位エントリーを読んでのメモです。*3