わんわん

金曜から実家の方に少し帰っており、ずいぶん更新があいてしまった。実家に帰ったのは、新しい犬を飼うことになったので見に帰った。
私の家は昔から犬を良く飼っている。初めてに飼った犬は私が1歳の頃。2匹目は小学生になったときぐらいに、高速道路でふらついている犬を父が拾ってきて飼うことになった犬。私の記憶ではこの2匹はずっと一緒にいる記憶しかない。私の家はある程度庭があったのでよく姉と私と犬2匹で遊んだ。よく覚えているのは一緒に走り回ったり、犬2匹に見つからないようにする遊びをしたりしたことだ。ボールで遊んだりはしなかった。というのも私が小さい頃に一匹目の犬にボールを投げつけていたようで、ボールを怖がっていたからだ。だからボールを見ると怯えていた。そのときの様子が今でもすぐに出てくる。
1匹目の犬はとても賢い犬だった。芸ができる、とかそういう賢さじゃなくて生きる賢さみたいなものがあった。番犬としてもとても優秀だったが、少し番犬としては凶暴で困ったこともあった。父に思いっ切り怒られたこともあり、それが可哀想で父と喧嘩になるようなこともあった。けど普段見せる顔はとても穏やかで、弾む様にちょっこ、ちょっこ、ちょっこと歩く姿がとても愛らしかった。
2匹目の犬はとても忠実で優しい犬だった。拾ってもらったということに感謝していたのだろうか、なんて考えるのはこっちが勝手に考えることであって、きっとあの犬は元からそういう犬だったと思う。いつも少し大きな尻尾をブンブンと振り回してうれしそうに近づいてくる犬だった。散歩の躾はほとんどしなかった犬なので、いつもその強い力で思いっきり引っ張って散歩するようになってしまい、帰ってくるといつもハァー、ハァーと舌を出して疲れきっていた。けれど散歩のリードを見せると物凄くうれしそうに、本当にうれしそうにして行こう!行こう!と言ってくる奴だった。1匹目の犬は家を抜け出して気ままに歩き回りたいという気持ちが強かったようで、よく逃げ出そうとしていた。それを2匹目の犬が止めたりしていた。
3匹目の犬は白い小型犬だった。私が中学のときに飼うことになった犬。家に来たその日にうれしそうにあたりを、これでもかというほど駆け回っていた姿が今もすぐ浮かぶ。気性が荒く、猫のような性格でなかなか言うことをきいてくれなかった。食い意地がはっていてどれだけ食べるんだというような犬だった。なんだか可愛らしい性格がない犬のように聞こえてしまうが、こんな性格のくせに憎めない可愛い奴だった。2匹目の犬とは仲があまりよくなかったが、1匹目の犬にはとても懐いていた。
それから私が高校1年になった時、夜家に帰ってくると1匹目の犬が死んでいた。もう冷たかった。生まれたときからずっと一緒に居た。身内で人が死んだこともなく、自分が本当に愛している生き物が死ぬという体験はその喪失感に驚いた。喪失感に驚くというのもおかしな話だが、まさに「胸にぽっかりと穴か空く」という表現そのものに感じられたからだ。けれどこの犬は老衰だった。それは幾分救われた。1匹目の犬が死ぬと、3匹目の犬はさびしくなったのか2匹目の犬にかまってほしそうにするようになった。2匹目の犬は優しい犬だったので、かまってほしそうにする3匹目の犬をかまってやるようになった。
そして大学の2回生の時、2匹目の犬が死んだ。血を吐いて死んだ。最後は物凄く苦しそうだった。もう家にいても血を吐き長くないと言われ、安楽死を頼むことになった。私と姉は嫌だと言って拒んだが、母は何もしてやれないことに物凄く苦しんでいた。そしていつも診てもらっているお医者さんに預けることにした。預けて帰るときの、あの不安げな顔が頭から離れない。そして1晩たち息を引き取った。3匹目の犬はひとりになった。きっと私達以上に寂しかっただろう。いや、これも勝手な憶測でしかない。犬の心情を勝手に憶測するのはよしておこう。
それから私が大学3回になる前の春に親が新しい犬を飼うと言い出した。私は飼いたくなかった。なんだか死んだ犬の代わりを飼うようで嫌だった。しかし家に番犬が必要ということで親はやはり飼いたがり、飼うことになった。
4匹目の犬はとても大きな大型犬だった。アラスカの犬だった。飼ったのが生後3ヶ月だったのにもう小型犬より大きかったと思う。へら〜っとしたうれしそうな顔をするおめでたいほどの明るさを持った犬だった。代わりの犬を飼うことに反対していた私もその明るさに引き込まれた。すぐに物凄く大きな犬になり、力も同じ強くなってきた。おもちゃを引っ張ったりする力も物凄く強かった。私はまだ病気でリハビリやらに行ってることが多く暇があったのでもっぱら犬の遊び役になっていた。一緒に走ると追いかけてきて、うれしそうに飛びつく犬だった。けれど体が大きいので飛びつかれると、よろつくこともあり一緒に泥にまみれながら遊んでいた。とても楽しかった。
それから4ヶ月ほどした夏、私が一ヶ月ほど北海道に行っている間にその犬は亡くなった。行く前から調子が悪そうだったが帰ってきてから、亡くなったということは聞いた。一応インターンということで慣れない土地に行っている私を気遣って、帰ってきてから伝えるという形をとってくれたようだ。原因は脳の病気らしく、先天的なものだったようだ。しかしその犬の親もそういった病気を持っているわけでもなかった。隔世遺伝だったようだ。私が北海道に行く前に、徐々に足が弱くなっていた。そして最後には歩けなくなったそうだ。そして徐々にモノも食べれなくなって死んだらしい。まだ1歳にもなっていなかった。
そして今年の春過ぎ、最後の3匹目の犬が亡くなった。癌だった。最後は小さな高濃度酸素室みたいなところに入れてもらいやっと息ができる、というぐらいに衰弱していた。もうダメだということを聞いていたので私は実家に帰っていた。そして最後のときを看取った。徐々に徐々に息が小さくなり、眠るように逝った。
大学2年〜4年のこの間には多くの大切なものが消えた。友達が事故でなくなり、2匹目の犬がなくなり、それから父方の祖父が死に初めて身内の死を経験した。それから母方の祖母が死んだ。そして4匹目の犬が死に、3匹目の犬も今年死んだ。それまであまり周りから大切なものがなくなる経験がなかった私だが、一気に押し寄せてきた。それも私が病気で1年半ほど療養しているときだったので、下手にモノを考える時間があり辛かった。祖父も祖母も私の病気を心配してくれていたのに完全に治ったところは見せられなかった。
昔からくだらない自己嫌悪をしてしまうことはあったが、それは多分に自分の行動に対するものであり、自分の存在に対する自己嫌悪を強めたのはこの時期のような気がする。
祖父がなくなったときも祖母がなくなったときも、犬がなくなったときも潤む程度は見せたが、人前では泣かなかった。何故泣かなかったんだろう。一人では泣いたが人前で泣くことを恥ずかしいとでも思ってるんだろうか。そんなつもりはないのに泣くことができなかった。何か泣くとわざとらしい気がして泣けなかった気がする。そして一人で泣いているときさえも、泣き出しては泣いている自分に気づき自己嫌悪し、自己嫌悪が収まればまた泣き、また気づきという繰り返しだった。私はきっと後悔していたから悲しみにくれることさえできなかったんだと思う。泣き出すと、おまえに泣く資格があるのかと考え現実に引き戻され自己嫌悪をしていたと思う。もっと祖父や祖母にしてやれたことがあったんじゃないか、犬にはもっとしてやれることがあったんじゃないかと後悔をする。もし私ができることを全てしていたのなら素直に泣くことだけできたんだろうか。おそらくそうなんだろう。けれど私はどれだけできることをしても、まだできることがあったんじゃないかと思うだろう。

なぜこんな話を書くことになったのか自分でもわからないが、いつのまにか回顧していた。
先週の金曜に実家に帰って新しい犬を見た。3匹目と同じ犬種とは聞いていた。代わり、という考えを強めるのに十分な理由でなんだか嫌だった。けれど見るとやはり可愛かった。どうしようもない。外で犬を見てもなんだか切なくなり、潤んでしまうような状態だったくせに、もう犬は飼いたくないなんて思っていたくせに、自分が飼うわけではないにせよいざ目の前に出されると可愛くて仕方ないのだ。はじめはそういう後ろめたさのようなものを持ちながら接していたくせに、3日ほど一緒にいたらもう可愛いという感情が大きくなって後ろめたさも押しのけてしまったようだ。3日間は犬とずっと遊んでいた。いくら遊んでも遊び足らないみたいだ。甘噛みしてくるんだが、ちょっと痛い。けど痛さを我慢して遊んでしまう。あんなうれしそうな顔をされたら、どうしようもない。

けれどこれでいいんだろうか、という考えもこうして帰ってきて、離れると思ってしまう。少なからず昔を通してみていること、けれど昔を捨てるような態度をとることも嫌で、そういったいろんなことに対する自分の考え方、受け止め方など色々と。
まだ私は自分の周りの死をどう受け止めればよいのかわからない。死の受け止め方が分かっている奴なんて吐き気がする。けど受け止め方のようなものをわかろうと考える。矛盾を飲み込める時がくるのかな。