考えるヒント 小林秀雄 〜一周して〜
今、小林秀雄全作品のうちの考えるヒントを読んでいたのだが
そこでこういう記述があった。
- 作者: 小林秀雄
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/08/01
- メディア: 単行本
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伊藤仁斎が、「論語」を、宇宙第一の書と呼んだという事は良く知られているが・・・(中略)
仁斎の「論語」注釈の、幾度も書き改められた原稿は、今も、天理図書館*1に、ほとんど完全に保存されているそうだが、彼は原稿を書き直す毎に、巻頭に、「最上至極宇宙第一」と書き、この言葉を書いては消し、書こうか書くまいかと思い迷った様が、実に良くわかるそうだ。(中略)
仁斎は、当時の学問の習慣に従い、朱子学を学んで、深くこれを極めたが、やがてようするに豪そうな理屈に過ぎぬではないか、と悟った学者である。
極めて、極めて、深く知って、おそらく他人が想いを馳せなかったようなことにまで
想いを馳せて深く極めたんだろうけど、その悟りとして「ようするに豪そうな理屈」と
小林秀雄が仁斎の悟りを語っているのが、なんだかとても面白かったのでメモ。
小林秀雄自身もそういう感覚を覚えたことが幾度もあるのだろう。
中学生ぐらいのときに論語を見て、ひねくれているものの正直な感想として
「偉そうな理屈」と吐き捨てることは、多くの人に度々あるのだろうけれど
何か考えを深めてたどり着くところが、一周してしまって
「豪そうな理屈」と悟るに至る。
おそらく多くの違うものが見えてはいるのもの、端的な言葉に表すと一周してしまう。
真理とか、悟りとか、結局は単純な言葉に集約され元の場所に帰ってしまうというような考えはありがちかも知れないが
なんだかこの文はとても面白かった、声を出して笑ってしまうほど興味深かった。
にしても何がそんなに面白かったんだろう・・・?
少し冷静になって言葉に書くと、読んでる自分という主体から離れてしまうと
ちょっとわからなくなってしまう不思議。