害と碍


あまりエントリーとは関係がないんですがパッと感じたことをメモる程度に。

福耳コラム
障碍者とかかわるしごと

障害者と障碍者
前者は昔よく見た漢字。
で、この間『視覚障碍者』という文字を見た。
あー、害という漢字は悪い意味が多いから碍という字を使っているのかと思ったものの
視覚障碍者は害も碍も読めない人が多いんじゃないのか?
つまり碍という漢字を使うのは、あくまでこちらの都合であり、あちらの都合に重きをおいてるわけじゃないじゃないのかと感じる。

エントリにーにある文章を見てみると

ある福祉分野では先進的事例と言われる自治体の担当者の方に、「福祉の世界で望まれる人材というのは、どういう方なんでしょう?」と伺ったら、「お金とかを気にせずに、苦しいときも、それを楽しめる人。」と答えられた・・・・・・

そういう人たちそれぞれの組織観というのは、どうも断絶がある。つまり、福祉コミュニティとしてのあり方と事業体としての合理的なシステムというのは確かに相違していて、いきなり福祉コミュニティが事業体として合理的に、そしてある程度の市場競争力を持ってサバイブできるようにメタモルフォーゼできるわけはないのであろう。

やっぱりなんだか隔たりを感じる。
言語の壁とかよりももっと大きな壁を。