ぼくには数字が風景に見える

ぼくには数字が風景に見える

ぼくには数字が風景に見える

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 この本から何か得よう、なんて偉そうなことは何も考えずただ読み物として読んだ。面白かったので夜読み始めて、夜明け前までに読み終えた。読もうと思ったきっかけは「ぼくには数字が風景に見える」という文句に惹かれ、その世界を覗いてみたかったからだ。
 はっきりいって読んでもその感覚はわからない。ぼくには数字が少しも風景には見えなかったが、彼が数字をどのようなものとして捉えているのかは少しわかった。

数字はかけがえのないもので、そのそれぞれに独自の「個性」がある。11は人なつこく、5は騒々しい、4は内気で物静かだ(ぼくの一番好きな数字が4なのは、自分に似ているからかもしれない)。堂々とした数字(23,667,1179)もあれば、こぢんまりした数字(6,13,581)もある。333のようなきれいな数字もあるし、289のように見栄えのよくない数字もある。
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なぜこう感じるのかはわからないが、このように見えるのかということはとても興味深かった。そして上の数字は全て素数だ(今はネットから切断してるから、たぶんだけど)。彼の言葉を借りると素数は全て「滑らかで丸い」らしい。9973までの素数は全て丸い小石のような感触があり、すぐにわかるらしい。そのほかにも53×131なんかは少し図式化されて説明もしており、興味深い。
 他にも著者は語学の天才とされている。著者は英語・フィンランド語・フランス語・ドイツ語・リトアニア語・エスペラント語スペイン語ルーマニア語アイスランド語ウェールズ語の十ヶ国語が使える。アイスランド語にいたっては著者を取り上げる番組の企画上、1週間で覚えたようだ。彼の語学の習得方法はまた独特で言葉からイメージする色と感情を利用して覚えるというものだ。こういった超感覚は共感覚と呼ばれることが多く、共感覚の研究者によると色のついた文字は文字の1文字目で決まるらしく、著者も同様だと述べている。私たちが言葉を覚えるときもイメージを利用するというのはあるが、それは言葉とイメージを結びつけようとするものだが、彼の場合は言葉からイメージが出てくるというわけだ。屈託のない笑顔を向ける赤ちゃんに向かうと、自然と朗らかな気持ちになってしまうように自然にわいてくるものだ。

このように書くと超人の超人についての話かと思うが、実際読んでみるとまったく違った。この本は著者の成長記録だ。ここまで触れていなかったが、著者はサヴァン症候群アスペルガー症候群だ。これらについてはぐぐってみてほしい。有名人にも多いことがわかると思う。ビルゲイツなんかもそうだったはずだ。サヴァンとはフランス語で学があるという意味らしい。*2しかしこれらの症候群の大きな症状として「人の心の動きがよくわからないので対人関係がうまくとれない」「ひとつのことに強くこだわり、あたらしいことがらや環境をなかなか受け入れられない」ということがある。そういった著者の成長記録だ。ありのままの成長記録だ。小さいころの体験についても詳しく述べているし(小さいころの経験についての記憶もおそらくとてもよいのだろう)、自らがゲイであることも述べている。とても素直に自分を述べている。悪い言い方をすると、のっぺりとした文章でもあるが、それ以上に文の素直さに魅了される。
本書で一番凄いと思ったのは、著者の能力ももちろんだが著者が18歳で単身リトアニアへ渡り、ボランティア活動をすることだ。私だけだとは思わない、これは読んでいてあまりにも唐突な気がしたのは。なぜこの状態でリトアニアへ行き、ボランティアをしようという気になったのか、なれたのか。リトアニアへ行くまでに本書では半分ほどを使って、著者の幼少時代から学生時代の生活についてありのままに語られている。そこではさまざまな苦労が語られ、この場所でこの生活をするのにこんなに苦労しているのに、一人でまったく知らない国へ行くというのはどういうことなのか理解できなかった。著者は電車にもうまく乗れないし、バスに乗って人が多いものなら汗をかき、極度に緊張し疲弊する。人の多いところは苦手だし、うるさいところも苦手。そして新しい環境は一番苦手。それなのになぜ全てが新しい環境のリトアニアへ行こうと思えたのか。そこが不思議でそこから先の展開をまた読みたくなり、一気に読み最後まで読みきった。
障碍者と書くのはどうかとも思うがあえてこう括ると、私が知っている彼らはとても強い。そうでない人もいるだろうが、私が知っている彼らは強い。おそらく健常者よりも現実の厳しさを知っており、それに正面から向き合っているからだろう。
小学生の時、近所に左半身がマヒしている同い年の女の子がいた。私が障碍者と聞いて出てくるのはまずその子だ。その子も強かった。時には甘えたり、駄々をこねたりすることもあったが強かった。実際、動く右半身は強かった。(左半身のカバーのため強くなるんだろうけど、叩かれると痛かった)一緒に学校に行ったり、授業を受けたりしていたがやはり障害のため苦労することが多かったが、それでも現実と向き合っていた。この本は私にとって、現実に対して誠実に向き合って生きることを考える本だった。

*1:ネット切断時に読んでいたもののうちアウトプットしてたもの

*2:268ページ