好きだから行動

「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法

刺激的なエントリー。読んでいるときは、これはなんか違わないか?ズレてないか?とか思ったり、一部あーそうだよなと共感していたりしたけど、読み終わった感想は充分に「好きを貫いていないか?」ということだ。
確かに梅田さんの好きを貫くと、分裂勘違い君(さん)の好きを貫くではその対象が固定化されているか流動的であるかの違いはある。しかし「好きなら行動をする」という最も大事な部分はまったく違っていない。*1

最初は大学で心理学をやっていたけど、心理学データを処理するプログラミング自体に興味を持ち、あっさり心理学を捨ててプログラマになってしまって、今度は研究所で人工知能システムを作り、その後、業務ソフトから、エンタメソフトまで、いろんなプログラムを開発した。そのうちプログラミングに飽きてきたら、最初はITの新技術をレポートする雑誌記事を書きはじめ、そのつてで、技術書の監訳の仕事が来て、さらに英語に興味をもち、翻訳をするようになり、今度は自分の本を書き、また、知り合いも増えて、一緒に起業することになり、あるいは、全然別分野で、巨大プラットフォームのAPI策定をするようになり、国際会議にでてアメリカ人とかフランス人とかと議論したり、海外講演することになったり、ユースケース分析、マーケティング、企画、そして、さらに、デザインや法務や人事や経営の仕事にも首をつっこんだ。

いや、むしろ好きを貪欲に貫いている。何かをやめて何かをするときに、何かをやめたらか次に移るんではなくて、違う何かに興味を持って次のことをしているんだから。
梅田氏さんは好きを貫く方法として、好きを専門家して武器にして生きる方法を説いている。つまり自分の好きな武器を見つけて、それを鍛えて持って戦う。だけど分裂勘違い君の場合は、そもそもそんな武器ずっと持っているの重たいだろ、ってか好きを武器にするほど危ないのかよ。もっと好きなもの装備していいだろ、木の棒とか石とかパチンコとかフルンティングとかマン・キャッチャーとかHな下着とか。木の棒に興味を持ったならそれを装備したいし、Hな下着を装備したけりゃしてもいいじゃないか。そっちのほうが気ままで楽しいし。ってのだと勝手に解釈した。つまりより楽観的。梅田さんのほうはより現実的に見て、方法論まで提示している。に対してこのエントリーは運よくうまくいった人が妄想的楽観に基づいて書いているだけとも言える。*2
けれど分裂勘違い君ぐらい楽観的な方が救われる人も多いんじゃないだろうか。実際に好きなことは「これだ!」と絞れているひとは少ないだろうし、「これだ!」と決めてしまうことに恐れも感じている人が多いと思う。しかし注目すべきは分裂勘違い君の場合は(今好きなのは)「これだ!」と決めることに躊躇はしていない(ようにみえる)。*3多くの人の場合は今好きなことは「これだ!」と決めることさえも躊躇していると思う。それはやっぱり現状維持の方が楽だろうし、現状維持でなんとかなっている人だからだろう。でも好きなら行動してみる。この好きなら自分のその気持ちに従って行動するという規範、枠組みで見ると梅田さんと分裂勘違い君の意見は同一の規範・枠組みで括れる。規範やら枠組みなんていうと、分裂勘違い君の言っている流動的な概念が打ち消されるような気もするが、やはりそういったものは必要である。分裂勘違い君が引用している「生物と無生物のあいだ」からの言葉を用いると「生物の形態形成には、一定の物理的な枠組み、物理的な制約があり」というものがそれである。*4
今回の場合、両者ともその枠組みが「好きに従って行動する」というものであり、行動に焦点を当てたときに梅田氏と分裂勘違い君とでは固定的であったり、流動的であったり、特化型であったり分散型であったりするだけだ。*5固定的であるというのは分裂勘違い君と比べてである。固定的という意味では梅田さんの方が分裂勘違い君よりも、保守的であり持っているものにしがみついている既得権益的な立場においやられてしまう。*6けれども梅田さんの方が特化型であるから現実に威力を持ったりする。これについては分裂勘違い君は「選択と集中」を否定しているのでまた違った話が必要になってしまうので置いておく。

まぁなんにせよ、これを見て「やったこれでもいけるんだ。俺もふらふらとただ生きてみよう。」なんて思うのはおかしくて、「ふらふらと行動して生きてみよう」と思うのであればちょっとベターに、行動に伴う些細な苦痛はあるかもしれないが総合的にみるとより気持ちよく生きれるんじゃないだろうか。という結論に行き着いてしまうのも、全て私に行動が不足していると自覚しているからなんですが。*7

*1:その好きの深さは梅田さんが説いているような稀にみる人の好きに比べると浅すぎるといわざるを得ない。けれどまぁ分裂勘違い君当人は好き、という言葉は使ってないので・・・となってしまうが。

*2:本を書いたりしているものと1エントリーを比べるのは酷だが

*3:もちろん「これだ!」と決めたものに対して「やっぱりあれだ!」とすることにも躊躇はしていない

*4:物理的、だから意味が違うとなるかもしれないが好きという行動も物理的に考えれば枠組み、制約が含まれている

*5:そして固定型の方がもちろん扱いやすい、人はなかなか水を御せない。

*6:あくまで二人の比較ではだが

*7:そして好きなら行動しているだろってのにループしてしまうものでもあるが