辛辣 『読書について 他二篇 ショウペンハウエル』
人・本などにおける本物の存在を頑なに信じる一方で
この世の中には本物に害する愚物が多く存在していると考えている。
そして著者は余りある自信を備えたペシミストでもある。
文章の辛辣さは一種の痛快さまで感じさせる。
その文中においては、自らの著作が他の言語に翻訳されることを考えてか
ただ翻訳者について言及したいだけか判断はしかねるが、翻訳者について以下のように述べている。
彼らのこのふるまいをいつも私は無礼であると思っている。
汝、非礼なる翻訳者よ、すべからく翻訳に値する書物を自らあらわし、
他人の著書の原型をそこなうなかれ。
この本は
- 思索
- 著作と文体
- 読書について
の三篇からなっており、その大半を著作と文体に費やしている。
思索では
- 多読は精神から弾力性をことごとく奪い去る。
- 自分の思想というものを所有したくなければ、その最も安全確実な道は暇を見つけしだいただちに本を手にすることである。
- 第一級の精神にふさわしい特徴は、その判断がすべて他人の世話にならず直接自分が下したものであるということである。
というように述べており、ただ自ら考え抜いた精神と
読書によって作られた精神には大きなひらきがあると言っている。
著作と文体では
- すぐれた文体たるための第一規則は、主張すべきものを所有することである。
- 単純さは常に真理の特徴であるばかりか、天才の特徴でもあった。
というような文体や著作がどうあるかを語っている。
引用については私も同意する。
文を書く際には何を書きたいのかが最も重要であると思う。
それは文を書く意味はほとんどの場合、他人に伝えることが目的だからだ。
もちろん自分自身に語ることもあるが、それでも何を言いたい、書きたいのかははっきりさせておかないと
文としてなりたっていないと思う。
一方で
- ドイツ人の真の国民性は鈍重さである。歩行、挙措動作、言語、論じ方と話し方、理解の仕方と考え方、すべてがこの鈍重さを物語っている。 (中略) とにかくこのような文章を書いてドイツ人はご満悦なのである。そのうえ、さらに気取りと誇張を加味し、ものものしい厳粛な文章にしあげることに成功すれば、著者として、いよいよしびれるような喜びに浸るわけである。天よ、読者に忍耐力を与えたまえ。
というように、この時代に溢れているくだらないとする作家などをコケ下ろしていた。
この時代の作家らの問題点について多く触れていたが、少しドイツ語の問題なども多く理解できなかった。
しかし著者が現在の世界を見ればどうだろうか?
著者にとっては蛆のように溢れている愚物をみて、卒倒するんじゃないだろうか。
最後に収められているのが読書についてで
- 読書は、他人にものを考えてもらうことである。
- ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失っていく。
- 読んだことをさらに後で考えてみなければ、精神の中に根を下ろすこともなく、多くは失われてしまう。
私にとってとても痛い言葉だ。
しかし、これからもっと本を多く読んでいこうと思っている私が
一冊目にこの本を選んだことは間違いではなかった。
著者は読書という行為を批判しながらも、その意義も認めている。
一つは真の文学を読むべきだとしていること。特に古典を薦めている。
私はあまり古典を読まない。
なんとも情けない話だが、古典は読むのが本当に疲れる。
しかし何百年という年月に耐えてきた本を読まないのはもったいない。
もしかするとその本はまさに永遠に生き続けるかもしれない。
そのような本には必ず真理のようなものが存在するのだろう。
そしてもう一つは独自の素材を取り扱っているもの。
上記の真の文学は素材もそうだが、その形式の価値も優れていると述べている。
だが独自の素材を扱っているものは(その人でなければ述べられないことを述べているようなもの)
読むに値するというようなことを述べている。
そしてもちろん両者ともにしっかりと感じ、味わい、考えることが前提である。
私がこのごろ良く考えることに、人によって同じものに対して
感じるレベルの違いがとても大きいんだな、ということだ。
ありきたりなことなんだが、切に感じるようになってきた。
感じる深さ、感じる方向性、感じる長さ、いろんなことが違う。
多くのものを深く感じるということが全てにおいて良いとは思わない。
おそらくそういう人は精神が擦り切れてしまうのだと思う。
しかし何も感じない精神、何も感じない人生はなんとも・・・。
なんとも言えないぐらいになんとも言えない。
自分が擦りきれてしまわないだけ耐え、何か学び、生きたい。
本を一冊読むにしても、何か感じれるだけ感じて、考えられるだけ深く考えてみたいと思う。
I need 感性
もちろん著者の意見も参考にして、あまり愚物とやらに時間はかけないでおこうとも思うが
著者と違って私は自信がない、オプティミストである。
基本的に全てのものに、本に意義があると考えている私なので
愚物と断定することができる本はあまりなさそうだが
もし出会えたのなら、やっと出会えたと思い喜んでさっさと別の本を読むことにしたい。