唯我独尊 〜宮崎駿と後継〜
Life is Beautiful
映画「ゲド戦記」を見てあらためて認識した宮崎駿のすごさ
これは全面的に同意。
凄い人は世界を創ることができ、尚且つ人にそれを見せる力もある。
ナウシカ、ラピュタ、トトロ・・・と多くの作品は全て、見た後にはその世界に居たことを感じれる。
ちなみに私はラピュタが一番好きです。
他のも物凄く好きだけど、ラピュタ・ナウシカ・もののけあたりは
それぞれ50回以上は見てると思う。
ラピュタは三桁に届いているかもしれない。
ゲド戦記は映画館で見たけど、駄作ではなく佳作という感じだった。
ただ一回しか見てないのでまた見てみたいとは思っているが・・・。
で、宮崎駿の話に戻る。
宮崎駿がゲド戦記なる作品を愛しているのはもう周知のことになっているが
ゲド戦記が公開された前後に見た
岡田斗司夫の暴論暴言! 「ゲド戦記」についての暴言*1
という文章がとても興味深かったことを覚えている。
古いネタだし、結構知られていると思うのでググってもらえば見つかると思う。
文章のデジカメ画像はあるが、貼るのはあまり好ましくないと思うので控えさせてもらう。
これを見ると、宮崎駿の人となりが良くわかると共に、なぜ後継が育たないのかもわかる。
一部*2抜粋していきたい。
鈴木敏夫がこないだインタビューに答えて、「カットされたのが気に食わん、ノーカットで掲載しろ」といって、どっかのネットにノーカットで掲載されたんですね、インタビューが。
それを見てると、すごい面白かったんですよ。まずいままであんまり言わなかった、もしくは言ってたかもわかんないですけどインタビュアーが勝手にカットしていた、宮崎駿の批判がすごい。
「いままでジブリは、何人も若手の監督を育てようとしているけど、全部、宮さんがつぶすんだよ」って言う(笑)。
つぶしたのかって。
驚くことはないんですよ。宮崎駿はつぶしますよ。
これはわかるんですよ、なんでかっていうと、『もののけ姫』のDVDを見たときに、宮崎さんが、アニメーター作画しているシーンを「それじゃ駄目だ!」と取り上げて自分で書き直す、って場面があったんです。
サンという少女キャラがナイフをひらめせてアシタカに切りかかるシーン。アニメーターは普通にまじめに作画していたんだけど、宮崎さんは途中の動画一枚からサンの腕を消して、ナイフがひらめくハレーションのみに修正しました。たしかにそうすればサンの動きがスピーディかつリアルにみえる。
でも目の前で自分の仕事を完全に否定されたアニメーターは辛いですよね。宮崎駿は天才といわれると同時に、こんなひとの下で働きたくないですよ。なんでかというと。明らかに自分が子供のころから憧れて、いまだに追いつけない天才が毎日自分の仕事をダメだっていうんですよ。こんなストレスに耐えられる新人いないですよ。
なので、いままで宮崎監督のもとで、新人監督がぜんぜん育たず、社外から押井守を入れるという話もあったんですけど、押井さんがひとこと、「やだよ、あんなとこ」と言ったという。庵野秀明を入れるという話もあったんですけど、やっぱり無理っぽい。
そういうことでジブリって言うのは、スタッフのプライドは高いんだけども、宮崎駿にすぐにへこまされるという、大変鬱屈した、屈折した状態になってるんですね。
これを読むと宮崎駿がいかにアニメを愛しているかがわかるだろうし*3
後継者を育てよう、なんていう気持ちがないこともわかる。
ただこれを見ても、逆に好ましく感じる。
ただひたすらになれる人は本当に好きだ。
まぁそれを一緒に強いられる周りの人はしんどいのかもしれないが。
そういえば宮崎駿の仕事の話では
宮崎駿があのアルミ弁当*4を持ち込み、出口近くの机を陣取って、誰も部屋から出れないように仕事をする
っていう話も聞いたことがあるなぁ。
まぁいろんな意味で別格。
最後の方で話が出た、エヴァンゲリオンの庵野氏と宮崎氏の関係も面白い。*5
庵野秀明は宮崎駿のナウシカという作品の下で働いている。
巨神兵のシーンを35カットほど担当することになったのだが、庵野は人を描くことが苦手。
で、宮崎は庵野に
「人間、あまり得意じゃないね」「人間ヘタだね。」「人間描けないね」「もういい。マルチョンで描いとけ!あとはオレがやるから」「この未熟者め!」
と。
ただ庵野は最初は緊張していたものの、途中からはタメ口、生意気というような一面があったらしい。
けれどそういう一面もあって逆に宮崎と仲良くしてもらえたらしい。*6
その後の庵野のエヴァの大ヒットを見ると、宮崎駿の下にいて育つのはこういう人物じゃないかなと思う。
しかしここで問題がある。
そういう人物はあまり人の下で長く働かないことだ。
「いや、3分と観られないですね。観るに堪えないですね」
「僕はああいうもの、もういらないんですよ。最初の絵コンテ見ただけで『エライこと始めやがったな、この野郎』って思ったんですけど(笑)。”使徒”とかって聞いたときも、こりゃエライとこに突っ込むなあ、って思ったんですけど、まあ終わってよかったですよね」
と述べているらしい。*7
けど本当は見てるとか、見てないとか。
で、宮崎駿と後継者の話にもどる。
どんな人物なら宮崎駿のプレッシャーに耐えられる、かつジブリを存続させられるか
という考えからでてきたのが宮崎吾郎その人である。
いままでジブリにいた監督がなんで全部つぶされちゃったのかというと、宮崎駿という大天才、自分より才能も能力もある人間にダメだと言われたら、自分が全否定された気がして、萎縮しちゃう。だから、逃げたり、辞めたりする。
ところが、宮崎吾朗はすごい。なにがすごいか、どんな才能があるかというと、「宮崎駿の息子」という才能があるんですね。
宮崎さんは息子を子どものころから全否定してるんだけど、彼はのほほんと生きてる。これをつかわない手はない。
つまり、耐えることができるジブリの人で、さらには宮崎駿という名前が死ぬまでついている息子を選んだわけである。
ちなみに宮崎吾郎が選ばれたのは偶然的なものもある。
それは宮崎駿が長年、映像化したいと言っていた*8が断られていたゲド戦記の映像化について
ル・グウィンの方から
「ワタシがマチガッていま〜した。すぐにやってくださ〜い。ハヤオ・ミヤザ〜キは天才で〜す。『ゲド戦記』ぜひともやってくださ〜い。」
ときた。けれど宮崎駿はもう歳で無理と断る。
けれどジブリは断ったわけじゃないという話でことが進む。
鈴木敏夫がル・グウィンにジブリが引き受けると返事をし、向こうも了承する。
もちろん宮崎駿がすると思って了承するのだが。
で、"暴言"より
さて、どうするか。それに関して宮崎さんは「俺、やんないよ。俺がやんなきゃ誰がやるんだ。できるやつなんかいねえよ、断れ」みたいな大変勝手なことを言ってて、そこの会議にたまたま出席したジブリの森美術館館長、宮崎吾朗くんがどうもうまく話にのせられて、監督をするということになったらしいんですね。
こんなわけである。
まぁこの偶然が先で、宮崎吾郎が監督として宮崎駿のプレッシャーに耐えることができるから監督になった
という上のは結果から見た話になる。
ちなみに宮崎吾郎の能力については、"暴言"より
家族会議で吾朗くんは宮崎さんに*9「おまえのような人間には、才能もなければ力もなければやる気もなければ、監督としての能力がなんにもない。おまえには『ゲド戦記』は出来ない!」とまで言って、それきり二人は口をきいていないそうです(笑)。
もう、オタク界の伝説ですよ、これ。日付までわかってるんですよ。
鈴木敏夫の方も
ぶっちゃけ、宮崎吾郎には才能はないと思うんですね。アニメ作る才能とか能力、演出家としての才能とか、そういうもの、まったく見えないと思います。
とまで言ってしまっている。
ここまで言うのも可哀そうではあるが、その一方鈴木敏夫は宮崎吾郎については
ワガママな天才の息子という仕事をやりとげることができる人物で面白いといっている。
こんなのを見るとジブリには人材がいないのか?と思ってしまうが
人材が居ても、宮崎駿が別格すぎて、でかすぎて、他に日が当たらず育たないのだろう。
となると、宮崎吾郎が進化を遂げて、宮崎駿に肩を並べることができるほどにならなければ
やっぱりジブリに未来はないのかな。
もし宮崎吾郎がそういう人物になるのであれば、それは大歓迎だ。
けれどそうでないのであれば、ジブリは幕を降ろしても別に良いんじゃないかと思う。
センスの世界に世襲は適さないだろう。
"暴言"から最後の抜粋として、宮崎駿がル・グウィンに会った場面が面白いので抜粋。
けっこう普通の人間だったらそこで出て行かないわけですよ。*10
「オレが断った、ああ、憧れのアーシュラ・K・ル・グイン先生の作品、ずーと前からやりたかったのに断っちゃった。ああ、どうしよう。」みたいな反応をするわけなんですけど、宮崎駿はぜんぜん余裕でアーシュラ・K・ル・グインの前に出て、会った瞬間から「どんなにわたしがあなたのアニメを作りたかったか」を語ったわけですね。アーシュラ・K・ル・グイン、ぽかんですよ。
「ナゼアナタハ断ッタンデスカ?」(爆笑)(中略)
そこで、鈴木敏夫さんが、宮崎吾朗くんが描いたポスターを出しました。これはいま、宣伝にも使われているポスターで、海岸で竜が、巨大なドラゴンとゲドが向かい合っているポスターなんですね。宮崎吾郎くんが自分で描いたポスターなんです。彼は自分が監督に決まる前から、『ゲド戦記』でこういうのを描いていたんですって、ル・グインさんに見せたんですね。
するとそれを横から見ていた宮崎駿さんは「なんだ、これは。こいつは『ゲド戦記』をまったくわかっていませんからね」って(爆笑)。
「ドラゴンとゲドが正面向かい合っているという構図を選ぶ時点で、こいつはなによりゲドがわかってない証拠ですよ」*11って、まるで海原雄山が山岡史郎にいうみたいに、ついに馬脚をあらわしたな、おまえがなによりわかってない証拠だと、ものすごい勢いで言って、それだけならともかく、それにくらべてわたしが描いてきた『ゲド戦記』の絵は……(爆笑)……
宮崎さん、いきなりカバンの中から今まで描きためた『ゲド戦記』の街の設定をヤマほど出して、ほらほらほら、わたしのが正しいでしょって言って。もうアーシュラ・K・ル・グインさん、ぽかーんですよ。「アナタハナニヲシニ来タンデスカ?」
鈴木敏夫先生はインタビューに答えてます。
「長いあいだあのひとと付き合ったけれども、本気で殴りたいと思ったのはあのときが初めてだった」
面白い、凄い人、と思わざるを得ない。
けれど宮崎駿の言動で一番記憶に残っている言葉はもっと違う印象の言葉だ。
この人は物凄く現実が見えてしまっている人でもあると思う。
そして物凄く苦悩しているようにも感じてしまう。
たとえばこういうのがある。
宮崎駿は、ここ10年、ものを作る時に、常々言い切っていることがあるんです。
「作るに値するもの、おもしろいもの、 そして、お金が儲かるものが必要なんだ」
お金が儲かるものじゃなければ、資本主義の中ではやっていけないわけだと。
これも意外だった。こういうことも考えているのかと驚きだった。
もっとただ純粋な人かと昔は思っていたがそんなことはなかった。
ただ、私が何も知らなかっただけだ。
小さなモノサシで、大きなものを測ろうとしていたんだろう。
ただ測ろうとはしていた。
今はどうだろうか?モノサシが小さいことに気づき、測ることさえしなくなってはいないか・・・。
最後に一番記憶に残っている言葉は
「希望を持って生きねばならぬ、という価値観は捨てた方がいいし本当はこの世は生きるに値しない。でも子供に向かってそんなことは言えないので『とりあえず生きてみて下さい』と言うのが私の本音です」
というものだ。
ずいぶん昔、10年ぐらい前にこの言葉を聞いた。
中学生だったと思う。
ただ、検索してもほとんど出てこない。
本当に宮崎駿の言葉なのかはわからないが、私はそうではないかと思う。
ナウシカの漫画を読めば、そう思わざるを得ない。
【参考】
風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡
ロマンアルバム 風の谷のナウシカ
シュナの旅
ワイド版 風の谷のナウシカ
*1:以下"暴言"とする
*2:結構大量になるけど
*3:宮崎駿が一番長い時間をかけて、熱心に取り組んだ作品は漫画のナウシカだろうけど
*4:数十年、同じようなアルミの弁当を使っているらしい
*5:エヴァといえば、今劇場でやっているのがなかなか好評みたいだから見てみたい。
*7:風の帰る場所 より
*9:と、なっているけど吾郎君に宮崎さんは、のミスだと思う
*10:ル・グインに息子が監督すること説明する必要が出た。そこで宮崎駿は、吾郎は監督だから現場にいないとダメだろと反対。で、鈴木がじゃああんたも来いという話に
*11:原作の竜とはとてつもない翼もってて、"眼をみちゃいけない"とか、太古の言葉しゃべるという設定がある