卒論について

卒論発表も終わり、少し休憩したりして久しぶりにはてなを見るとちょうどいいエントリーがほってんとりになってたので少し。

4年生の卒研発表を見学してきて感じたこと

東大とかになると、とんでもない奴も出てきて凄い卒論ができあがったりするのかもしれないけど、私のいる大学ではそんな人はとりあえずいない。まぁ頑張って実験しまくって書きまくって卒論が3桁を越してる人もいたが、私はそんなに書いてない。

私が卒論で学んだ一番大きなことは、「研究の流れを知った」ということだ。他にも挙げようと思えば挙げられる*1が、流れを知ったことに比べるとあまり大きな学びではない。
はっきり言って私の卒論に価値はない。私にとっては価値があるが赤の他人から見たときにはただの紙だ。いや、白紙の紙ならまだ使いようがあるけど、変な文章が書かれてるからチラシの裏として半面しか使えない。はっきり言って卒論は自己満足だ。手を抜こうと思えばいくらでも手を抜ける。それでもみんなそれぞれ思うところがあって、それなりに頑張る。そして卒業する。
教員も卒論に価値は求めていないように思う。もちろん標準的なレベルには達して欲しいと思っているが、それ以上を求める先生方はあまりいないと思う。
卒論発表も学生の成果を見せる場であると同時に、先生方の学者としての能力ではなく、教員としての能力を見せる場所でもあるから、あまり酷い奴は出したくないんだろう。

まぁそれでもやっぱり学べることはあるわけで。それが研究の流れを知ること。やっぱり1度やるとだいぶ違う。まだ2回目をしたわけでもないけど、0→1と1→2はめちゃくちゃ違う。何か作業をしていても一度やるとトンでもなく作業効率が上がる。初めてだと3日かかる作業が1日で出来るようになったりする。だから初めてだと1年かかる卒論が、2回目だと4ヶ月ぐらいで出来るようになったりしそう。


卒論で一番困ったというか、悩んだのは先生と自分の考えのズレを感じるとき。私の場合、先生方から提示されたテーマに興味のあるものがなかったので適当に*2選んで、「これをやってみたいんですけど、指導してくれますかね?」みたいな感じで先生に聞きに行き、OKをもらったのでそのテーマをやった。私が見てもらった先生は、教員としての能力が凄くある人で、教える生徒がぎりぎりに切羽詰ることがないと聞いていたが私の場合は切羽詰りまくった。
というのも先生と自分の考えにズレがあったからだ。提示されたテーマであれば、先生が道筋を教えてその道を調べて実際に歩いていく。けれど自分がしたいテーマだと、まず私が「なんかあっちの方(東とする)に私が行きたい店ありますかね?」って聞いて「あぁ、あっち(東南東)の方に新しい店ができているよ。君が行きたい店かどうかわからないけど。」なんて感じだった気がする。私は自分の行きたい店がなんとなくしかわからず、そんなだから先生もなんとなくしか答えられない。で、打ち合わせを重ねていって初めて目当てのものが見つかる感じだった。いや、まだ目当ての店の種類がわかったぐらいの段階かもしれない。


やっぱり卒論自体の価値はやっぱり自分にとってのものでしかない。
そもそも卒論でとんでもない価値を他人に提供するような奴は、卒論以外でとんでもない結果を出している人だろう。もし卒論でしかトンでもない結果を出せない奴なら、才能の持ち腐れだ。人にやれといわれてやる前に、自分で行動できる奴じゃないといくら才能があっても仕方がない。私なんかは凡庸この上ないのに、自分で行動もできない。そういう意味では、自分で行動することを強制させられる*3良い経験だった。

*1:研究分野のこととかだったらいっぱい

*2:本当に適当で、なんとなく興味が沸いたもの

*3:変な言い方だけど